しりたいよ!

私が気になることを調べたりまとめたりやってみたりするところです。

宇宙をただよう塵ひとつぶ

13歳ごろからもう10年以上、頻度が変わっても日記を書き続けている身としてよく思うことがあるんだけれど、ほんとうに書いておきたいような切実なできごとや想いは、その瞬間には書く余裕がないので残っていないということ。長年のジレンマ。
ひと段落したあとから思い出して書きだしてみてもそのとき持っていた感情とはほど遠かったり、記憶が抜けていたり•••
けっきょく書くという行為は、なにかを残すという行為は、余裕のある人のものなんだなあと感じています。何かをありのまま残すというのはあまりにもむずかしい。


昨夜見た矢野顕子さんのファミリーヒストリーがとても興味深かった。
矢野さん自体、軽やかな雰囲気のあるおしゃれで明るい方というすてきな印象があったが、ご家族もまたすてきだった。
お医者でありながら趣味で絵を描いていたという芸術的なお祖父様もさることながら、束縛されるのが大嫌いと大学病院へ行く道を絶って実家の個人病院を継いだお父様にもアーティスト魂を感じます。しかしなんといっても感銘を受けたのは矢野さんのお母様の生きざま。
家を建てかえるとき、広い敷地にもかかわらずお母様は「座して半畳、寝て一畳」とわずか四畳半の部屋を自分にと申し出たと。
その後60代で胃がんの末期と診断されたお母様は一切の外科手術を「自分の寿命だから」と拒否し、葬儀案内のハガキの文章をなんとご自身でこしらえました。
「この度、寿命によりお別れすることとなりました。幸い家族・友人・趣味に恵まれ楽しく過ごさせていただき感謝申し上げます。
この先は宇宙の塵となり自然の大循環の中に組み込まれ、やがて他(た)の生命誕生に参加することでしょう。
【雪ひとひら 川面に映る 灯をとりに】
御献花ありがとうございました。 鈴木淳」

文面を打っていてまた涙が押し寄せる。なんて格好いいのだろう。


(自然の摂理に畏れを抱き、自分の一生を宇宙のなかのきらめく塵ただのひとつぶとおもって粛然と生きそして死にゆけたら。この身の小ささ恥ずかしさを、大いなるものの大いなるを決してわすれたくない。)
これはわたしが数年前の日記に書いた言葉です。矢野さんのお母様の生きざま(死にざま)が自分の理想とかち合い感動にふるえてしまいました。人は生きたように死ぬとはよく言うけれど、これほどまで自立したかっこいい最期をむかえられたならいっそうすてきだなあ。

矢野さんのお母様の人となりを語る周囲の方々の「侍のようだった」という言葉がいまだわたしの頭のなかをぐるりしています。
またひとり、こうなりたいと思う女性に出会えてしあわせです。すてきなものや人との出会いはわたしにとって、きらきらしたかたまりとばちんとぶつかりその拍子に熱い星屑が胸のなかでとびちるような大きな衝撃なのです。今日もすてきな出会いに恵まれました。